ゲーム内宗教における、右。ダイアロスの、右。
文責:きみえ12号、ちょいすけ
人類には左右がある。
クラゲやヒトデの認識は分からないが、他の大抵の種族にも左右がある。
左右。
我々は当たり前のようにこれを用いているが、これは人類や同じアーキテクチャ(設計)の生物にとってフィジカル(肉体的)で、プリミティヴ(原始的)で、アプリオリ(生得的)な概念なのだろうか?
肉体的と言う面では、原始の時代、人類の祖先たる種は重力環境下で水の抵抗に抗い進む都合、その肉体は流体力学的に洗練され「上下」「前後」方向を持ち、必然的に「左右」という方向が肉体に、つまりフィジカルに現出した。その流れを組む生物であれば、右から来たものは左に受け流すと言う事を理解し実践出来ない事は無いはずだ。
であれば人にとっても左右は生得的、つまりアプリオリな概念であろうと思われる
しかし、人類において万人が日常生活における左右を容易く区別出来る様になるわけでは無かったりする。幼児に左右を理解させるのは結構な困難が伴うし、時計の針の回転方向を覚えるために人それぞれの多様な例を用いている事があったりする。
こうなると左右はフィジカルで、プリミティヴで、アプリオリな概念とは言えそうもなく、文化的科学的な気配が漂ってくる。
左右とはなんなのか?
少なくとも人類が扱う左右には抽象的な概念も含まれていて、まさにその証左に左右に意味を見出した物語群がある。
宗教という物語だ。
リアル宗教では何故か右を良き方向としている事例が多い。
右は清浄、神の右は最高位天使、右目は良き物事を見通す、、、など枚挙に暇が無く、一つの偏りを示している
人類は総じて観れば殆どが右利きであるが、この偏りの説明の一つとして、古来からヒト社会では言語や数字の操作が重要な能力であり、左脳にその辺りを司る領域が存在するため、同じく左脳が司る右手が利き手である事が多くなる。(脳から肉体への神経は途中で交差していて左右逆)と言うのがある
とは言え左利きだと有意にそれらの機能が劣ると言う事は無く、利き手の差異は始めは僅かな事であっただろう。
しかし僅かずつでも右利き用の道具が増えるなど右利きが有利な環境要因が積み上げられていき、今では右利きがずっと多くなるはず。
なるほど、右に機能が定まるという事は工業的に何かとメリットが多そうだ。
何ゆえ宗教が右を良き物語として語るか?
それは後天的に習得可能であり、またすべきである拡張された世界認識を上手く継承出来る教育資源であり、インフラとして鍛えられたミームだから、と思える。
神の右
では宗教観を得た人類は今では左右を抽象として上手く扱えているのか?
一つの思考実験がある
ある日宇宙人と交信出来た。彼らの生態や文化はさっぱり分からない
この条件で人類の機能や文化の一つとして左右の概念を言語のみ伝えなければならない。
どう説明するか?と言うモノだ
肉体が定める左右の認識は意味を成さず、人がとりあえず便宜上名付けたそれらの方向を「定義」する
これはそう言う作業だ。
詳しい説明は脱線が過ぎるので省くが、結論から言うと4つの基本相互作用という人類科学の到達点に等しい知識が要求される難題であるそうだ。
しかし宇宙普遍(であろう)法則で説明可能な左右とは人類固有の抽象と言うわけでは無いのかも知れない。
神の領域に於ける「左右」は、人類にとっては未だ神秘なのであろう。
これらの事から実は人類史における左右とは、肉体的、文化的、科学的、神学的と重層な構造を呈している事が判る。
長々と前提を提示したが、これはmoe考察記事だ。
moeおいて、リアル宗教が左右に見出したような物語が落とし込まれているだろうか?と言う視点がこの記事の主眼だ。
ゲーム内宗教はリアルでの炎上を恐れてかあまり深く描写されない傾向があるが、moeについてはここへの思考を覗かせる描写が実はある。
<クラスターの足>
硬くしなやかな右前足
クラスターを裏返して観察すると判るが、その構成パーツは人体パーツに酷似している。
そのクラスターから剥ぎ取れる、あるいはプレイヤーキャラが剥ぎ取るのは決まって「右脚」。
また違う世界線、獣の病が蔓延るある街にも獣性は右足から這い上がると言う迷信もある。
果たして、クラスターにとって右に意味があるのか?プレイヤーキャラにとってクラスターの右足に意味があるのか?
どうだろう?
どこか冒涜的な香りがしないだろうか?