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エルアン文明研究会

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Page059 信じる神:差し伸べられた手

[カザヒシのメモ帳]

多くのマブ教徒が出自を語ってくれるおかげで、他の街よりも情報収集には向いている。 彼らの話を聞いていると、なんだかマブ教徒もそんなに悪い集団ではないような気が……少ししてきた。 たまにギョッとするようなことを言う人がいるのもまた事実なのだが、 「マブ教徒に救われた」そう語る人は少なくない。

「小さい頃に、父と母をビスク軍に殺された…  頼れる者を失った我らは、死者の野原で立ちすくんだ。  【生きながら、死ぬ】という地獄を味わった。

 死を待つばかり、となった我らは  通りがかりの マブ教徒 に命を救われた…。

 そして…  マブ神とイーゴ様へ、返しがたい恩義を背負った。」

兄妹揃って親を亡くしたという二人のガードは、その壮絶な過去を語ってくれた。 二人とも、マブ教に対する絶対的な忠誠を持っているようだ。 それもそうだろう。親を殺され孤児となり、行く当てのないところを助けてもらえれば、 感謝もするし、恩義を感じるのも当然だ。

そういえば、これはマブ教なりのやり方の一つだというのをどこかで聞いたような気がする。 身寄りのない子どもを見つけて保護し、育てる一方で、 マブ教の闇の教えを説いていくことで、立派なネクロマンサーに育て上げる、というものだ。 言い方を変えればそれは洗脳、邪教徒への刷り込みを行っていると言える。 子供の頃からそうして育てられてしまえば、染め上げられるのも無理はない。

ネクロマンサーを生み出すこと自体、あまり褒められた行為ではないだろう。 死霊を操り、生贄を捧げる様なことが日常になるのは異常という他ない。

けれど、一概にそれが悪いことだと言ってしまえるのだろうか? 根本的な所を見れば、行く当てのない孤児に生きていける場所を与えている、という事実はある。 ネクロマンサーとしての力をつけさせることで、自分一人で生き抜く力もまた磨ける。 もし本人がマブ教の教えがおかしいと思えば、その力で抜け出すこともできるのではないか?

路頭に迷い、そのままでは生きられなかった子供たちが救われている、という点では、 彼らがやっているのは立派な人助けと言っても過言ではないのでは?

孤児となり、生き抜く術もわからないままどこかで行き倒れて死を待つか。 闇に染められ、生きていく場所と力を得ることで立派な邪教徒となるか。 客観的に見て、それはどちらの方が幸せだと言えるのだろうか? 変な集団に染められても生きていける方が良いのか、純粋なまま死ぬか。 私には、どっちが良いかと聞かれても、うまく答えられそうにない。

でも、あくまで主観的に考えてみるのなら…… 死にそうになっている私を助けてくれるのなら、相手がどんな人かなんて考えないだろう。 その先に何が待っていようとも、差し伸べられた手を、私はとってしまう気がする。