[カザヒシのメモ帳]
ビスクに対しての憎しみと思いはある程度伝わってきたが、 肝心の宗教について話す人はほとんどいなかった。 考えてみれば、皇帝も熱心な信者だという宗教的な思想が根付くビスクの人と比べれば、 そんな話が少なくなるのも当然なのかもしれない。
天かける神のご加護がありますように。
彼らの多くはその言葉を口にするが、だからと言って宗教的な雰囲気は感じない。 ビスクではラル・ファク教への改宗を勧められたり、異教徒だと言われることもあった。 それで冷遇されるというわけではなかったが、ここでそもそもそんな話はまるでない。 神を信じろという風潮自体が、まず感じられないのだ。
もしかしたら、彼らはビスクとの戦争において敗北したからこそ、 神を信じなくなったのだろうか? 「天かける神のご加護があれば、あんなことにはならなかったのに!」 という風に、神への信頼を失ってしまったということも考えられるのだけど。
実際にそんなことを言っている人は居ないし、そこまでの信仰心は初めからないのだろうか? エルガディン人にとって、竜神への信仰は宗教的な意味合いが弱く、 あくまで土着の文化として慣れ親しんでいるだけという印象を受ける。 先生に教わった授業で取った時のメモを読み返し、もう一度見てみる。
エルガディンの五大英雄とは: エルガディン王国の祖。初めて竜と言葉を交わし、独自の繁殖方法でドラゴン種の保護に成功。 その代わりに竜族の協力を得て、ダイアロス島を平和裏に統一したと言われる。 キング オラージュは彼らの子孫である。ネオク山の竜騎士たちは、心で竜と会話していると言う。
ラル・ファクの元破壊神から平和の神になったというあの話と比べると、随分雰囲気が違う。 都市を踏みつぶし人々を投げ捨てたというかつてのラル・ファク神の様子は、 まさに神話の世界の神といった姿で、とても現実感があるような話ではなかった。 宗教の経典というものは、大抵はそういうものでも不思議はないのだけど。
繁殖方法を見つけてドラゴン種の保護を約束し、代わりに竜族の協力を得たという話は、 神様の加護を受けられるようになったお話というより、 互いに利益を得られるように協定を結んだということになる。なんとも現実的だ。 そもそもこの話はどこまでが「本当にあった話」なのだろうか? もしかしたら全て本当のことだったのかもしれないが、今それを知るのは難しいだろう。
人間に助けられるところから始まっているあたり、偉大で絶対の力を持つ神様とは程遠い。 助けてもらいたいのであれば相手に祈るのではなく、 助けてもらいたい相手を助ければいいという、助け合いの教訓が含まれているのだろうか? だとしたらそれはそれで素晴らしい教えだとは思うのだけど、 宗教の経典としてはどうなんだろうか? 信仰心が生まれるのかな?
竜騎士は心で竜と会話しているというが、竜に聞いてみたら何か教えてくれるのだろうか……? 竜騎士でない私にはわからないのが悔やまれるところだ。